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冷たい雨の夜、Bunkamuraシアターコクーンへ観に行ってきました。ケラリーノ・サンドロヴィッチの上演台本・演出による、マクシム・ゴーリキー作『どん底』。 CAST ルカー(巡礼):段田安則/ペーペル(泥棒):江口洋介/ワシリーサ(大家の妻):荻野目慶子/ナターシャ(ワシリーサの妹):緒川たまき/大家(コストゥイリョーフ):若松武史/サーチン:大森博史/錠前屋(クレーシチ):大鷹明良/アンナ(錠前屋の妻):池谷のぶえ/帽子屋(ブーブノフ):マギー/男爵:三上市朗/娼婦(ナースチャ):松永玲子/万頭(クワシニャー):犬山イヌコ/メドヴェージェフ(ワシリーサとナターシャの叔父/警官):皆川猿時/役者:山崎一、ほか。 19時開演、20時45分からの15分休憩をはさんで、22時15分まで。 プロレタリア作家として有名で、街の名にもなったゴーリキーの『どん底』(1902年)は、大戯曲。モスクワ芸術座で上演以来、日本ほかで何度も上演された傑作を、KERAさんがどう仕上げるか興味がありました。 岩波文庫版の砂粒のようなちっちゃい字のやつをあらためて予習。。 ストーリーを簡単にまとめると、最下層の人々が集まる地下の木賃宿が舞台。ワシリーサは、ペーペルを誘惑して盗みをさせるが、ペーペルはナターシャのほうに恋をした。巡礼ルカーが宿に来ていろいろな話をする過程で、ペーペルは新しい生活のため、ワシリーサと縁を切ってナターシャとともに宿を出ようとするが。。 こんな感じですが、実際、ストーリーも主人公も、あって、ないような、一筋縄で行かない作品。もっとも、世間に希望をもてない底辺の人間たちがそれぞれに葛藤するさまは、混乱の日本に生きる僕らの心の琴線にふれるものがあるので、活字でギブアップした人でも、舞台で観たら、『どん底』の世界に引き込まれる、そんな可能性を託された今回の演劇と言えそうでした。 そして今日、観劇した感想ですが。原作に忠実でありながら、ポップな楽しさにあふれた、なかなかよくできた芝居。元インディーズバンド有頂天のケラでなく、すっかり一演劇人のKERA、の作品であるというふうに、偏見を捨てて芝居に向き合って良かったと(笑)思います。 原作は全四幕から成っていて、今回の第1部は、第一幕と第二幕(ワシリーサとナターシャの喧嘩で終わる第一幕と、アンナの死で終わる第二幕)、第2部は、第三幕と第四幕(ナターシャの火傷、ペーペルとワシリーサへの叫びで終わる第三幕と、「役者が首をくくった」で落ちる第四幕)。 今回の劇も、その流れで進み、最後の驚くべき大転回も、ナースチャによる台詞になって、原作のテイストをきちんと反映するかたちになりました。ラストは、全員登場して、「カチューシャ」の合唱と演奏でフィナーレ。カーテンコールも2回あって、気持ちを盛り上げて会場を後にできました。 具体的な内容。 まずセットが素晴らしい。色調のセンスが良い。 宿の地下は、板寝床、カーテン、テーブル、ベンチ等等、原作のようにきめ細かに造られ、その地上部は、細い木々が生えた草地になっていて。おもに下の室内で人間模様が繰り広げられますが、ワシリーサとナターシャの争う場面では役者が何人か上に現れ、セットの上部が揺れていました。 第2部では、これが草地と建物の外形とで構成されたセットに変わり、第3幕が終わってから、浮浪者(ミュージシャン)による演奏―トランペット:鈴木光介、サックス:日高和子、アコーディオン:高橋牧(以上、時々自動)、パーカッション:関根真理―のあと、再び、第1部のセットがせりあがって組まれる(ただし、原作同様、ペーペルの部屋への扉は変化している)。 第1部の最初と、この第4幕の初めでは、スクリーンによる演出。 KERAさんの感性と、各役者さんの個性がかみ合ってか、いくつも面白いシーンがありました。 まず、ナターシャ。緒川たまきさんは、品があって僕は比較的好きな女優さんですが、ペーペルへの「まあ、かつこいい」に笑えたw 役者の山崎一さんが、自分よりも多くのことを理解できるリスを飼っている話、勿論原作にない部分だけど、名前がロベスピエールw ただ、この役者は、自分の輝かしい過去を想い、思い出そうとするけど台詞を忘れてしまっていた場面など、切なさに共感するところがあって、ただ笑えるだけでない存在感を発揮していたように思います。30代の僕ならもっと頑張らねばと思わせてくれましたぁ。。 帽子屋のマギーさん。巡礼のルカーが、第三幕で、真実の国の存在を信じた挙句に自殺した男の話をした後、帽子屋が「何だよそれー。どうしてそんな話するんだよ」と言う時の感じとか、フツーに台詞聞いてるだけで面白かったですねw クワシニャーの犬山は、やっぱり犬山。靴屋(アリョーシカ)(富川一人)がわからないことを言うのを受けて「じゃ、いいや。死んじゃいな」w そういや、この辺の顔ぶれ、ぜーんぶ、グミチョコ(笑) 原作と同様、ルカーが、第四幕で、登場しないところに、意味を感じますね。 このほか、物語のポイント、ヤマ場はしっかりとおさえてあって、見ごたえがありました。 パンフレットで、いとうせいこうが「黒く冷たい面白さ」と書いてますが、ロシア文学のそういった特徴をいまの日本人の感性に自然に融けこむように結晶させている印象です。 ゴーリキーは、晩年、スターリン体制に追従的であったという点で必ずしもいいイメージはないですが、『どん底』じたいは、ロシア革命前、ゴーリキー自身のハングリーなスピリットを感じさせる作品であり、それをメジャーなキャストで舞台化させたことは、演劇史的にも明るい希望を感じますし、案外スゴイ功績として見れるかも知れません。公演は、今月6日に始まり、27日まで。 演劇については以上。 そんなわけで、新年度、心身ともにしんどい日々が続くysheartですが、やはり演劇はハートの底から新しいパワーを醒ましてくれる気がします。少し値段は高いですが、それだけの価値はあったと思えます。 ダークな心を逆に希望に変えるという意味で、“黒い冷たさ”と近い80年代洋楽を取り上げます。 今回は、いまやイギリスのエレポップ的サウンド史を代表するグループ、Depeche Mode(デペッシュ・モード)を。 彼らを知ったのは、84年の「ピープル・アー・ピープル」を85年にラジオで聴いたのが始まりでした。 その後、86年の『ブラック・セレブレーション』から「クエスチョン・オブ・ラスト」などがヒット、この曲は彼らの作品の中でもかなり気に入っています。 Depeche Mode/A Question Of Lust この頃、僕が買ったLPは、彼らのベスト盤。「ピープル。。」のほか、「エヴリシング・カウンツ」など、資本主義批判のヒット曲も収録。 そして、88年『ミュージック・フォー・ザ・マスィズ』は、全米でも支持されることになりますが、僕が最も好きなこの曲を。「ネヴァー・レット・ミー・ダウン・アゲイン」。 Depeche Mode/Never Let Me Down Again とっても示唆的な音世界。バンドとしていまなお、存続しているようで嬉しいことです。 僕が日本で最後にデペッシュを観たのは、1990年秋の日本武道館のライヴ(おそらくそれ以降のコンサートでの来日はなかったかと思います)。今度は、何時か? あー、自分に失望したくないし、がっかりさせてほしくない。 今日の芝居は、観に行ってよかったし、以前にも感じたけど、Bunkamuraのスタッフの皆さん、とても応対がよくて感心します。 |
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>「ピープル・アー・ピープル」を85年にラジオで聴いたのが始まりでした。 |
ジャム80 2008/04/09 02:14 |
ジャムさん、こんにちは(^0^)/ |
ysheart 2008/04/09 12:15 |
おーっと自分のブログをサボるうちに大事なものを見落とすとこだった!! |
ジャム80 2008/04/15 22:13 |
おぉ!ジャムさん、見ていてくれたのね(涙 |
ysheart 2008/04/16 00:03 |
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